西行の妻娘の墓/いつかこの娘の恋をオペラにしよう!!

西行の妻娘の墓
西行の妻娘の墓

opera 月花の賦 (つきはなのふ)

opera「お照の一灯」の準備を始めて1年以上が過ぎた。脚本を書き上げ舞台装置のデザインや衣装等 準備の先が見えてきた。作曲も車川知寿子さんにお願いし、こちらも年内に仕上がる。

少し気持ちの余裕ができたので、新しい脚本を書こうと思い立ち 天野の里に眠る西行の妻娘の墓を訪ねる。といっても この時点で脚本の7割ほどは出来ていましたが…。内容は西行の娘の話。彼女に纏わる話しは全くと言っていいほど残っていない。名前すら分からない。だのに何故 脚本を書こうと思ったかというと、既にopera「横笛の詩」横笛さんを、「お照の一灯」ではお照さんの話しを脚本にしました。同じ天野の里に眠る 西行の娘の事も舞台にしたいと思い立ったから。でも 先に書きましたが彼女がどう過ごしたかは分からないので殆どが創作です。……墓前で謝っておきました。

西行の「月」「花」 そして「恋の和歌に、娘の恋の行方を心に映しながら話しを進めている。

タイトルは紀州かつらぎふるさとオペラ『月花の賦』 今日 出来上がったばかりの脚本を読み返してみましたが、全体が綺麗すぎてグオーンと響くものがない。これから暫く悩ましい日々が続きそう…。

さて、お墓はというと 車道からそんなに遠くない、小高い山上に近い場所にある。獣道?と思うような道を蜘蛛の巣を顔にまとわりつかせながら進む。朝露は靴の中まで浸み込み、着ているポロシャツは汗が浸み腕はヤブ蚊であちこち赤く腫れ…。数分の道のりですが…夏に来るには不向きだなと痛感。初めて対面する西行妻娘の墓が上の写真です。線香を忘れたなァ。(/_;)

お墓参りの後、ここからほど近い西行堂を訪ねる。車道のすぐ上にあり、周辺の草は刈られ綺麗に整備されている。

西行と言えば 大河ドラマ「平清盛」では、出家を決意した23歳の佐藤義清(のりきよ)が、縁側から幼い娘を足蹴にする場面があった。これは、鎌倉時代の西行物語絵巻にも描かれていて、肉親との絆を断ち切る決意を表していた。

義清が出家した理由には、鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)との許されない恋、従弟で親友だった佐藤範康(のりやす)の急死の二つの説があります。さらに、朝廷を取り巻く権力闘争も暗い影を落としています。義清は藤原氏の流れを汲む武家の生まれで、祖父の代から佐藤を名乗り、代々朝廷の警護役を務め、紀伊国(和歌山県)に広大な荘園を持っていた。

義清は16歳ごろから徳大寺家に仕え、和歌と故実に通じ、18歳のころ鳥羽上皇の北面武士に取り立てられます。後に同僚となる平清盛とは同じ1118年の生まれで親友。

出家して自由な立場になった西行は、かつての友人や貴人、女官たちを訪ね、和歌を交わしたり、相談に乗ったりしていますから、決して世を捨てたわけではない?のですね。

しかし、なんとかの局への恋の歌を詠んだりしているのに、妻娘への和歌が詠まれていないのは何故でしょう? 所詮 男というものは……^_^;

オペラは 西行の恋の歌では無く、娘の愛の行方がテーマです (∩.∩)

下の写真は西行堂と その中に安置された西行の座像と軸、賽銭投入口の小窓から撮影しました。天野の里保存会の皆さんが、綺麗に管理されているのがよく分かります。

ここを訪れたのは、2019年7月24日(水)。

さて、2021年3月7日に公演予定の opera「お照の一灯」に続き こちらも実現出来ればいいのですが…。