2021年3月に創作オペラ「お照の一灯」の公演を目指し、このブログをスタートさせる。【2018年6月18日

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2012年12月にopera「横笛の詩」の初演を皮切りに、2015年3月に第弐回公演、2018年3月には第参回公演を実施し好評を得てきました。その第参回公演終演後に、新たな創作オペラをとの構想が持ち上がり、この「お照の一灯」の脚本を書き上げた。(2021年3月7日公演予定)

まだ手直しが必要ですが徐々に準備を進めたい。(2018.6/18) 伝承されている物語はこちらから。


2019年6月26日(日) 衣装打ち合わせ

田宮洋子さん(橋本市)のお宅を訪ねた。opera「お照の一灯」の舞台衣装をお願いしている。また、管理進行をお願いしている土井淳子さん、松下京子さんも合流、4人での打ち合せとなりました。

数ヶ月前から準備した、色んなパターン・アイデアを提案し、3人の女性の観点からも意見をいただきました。お照は、脚本にある赤い小袖に包まれたみどり子…とあるように真っ赤な着物、そして薄墨衣装、尼衣装と 私が提案した衣装をパソコンの画面を見ながら話を進めていく。取りわけ 仏の使い・精霊の衣装に話の花が咲いた。ウイッグや宝冠、靴にいたるまで…。

平安時代には黒漆を塗った 浅沓(あさぐつ)があった。netで調べてみるとそれらしいパンプスがある。仏の使い・精霊さんにはそれを履いてもらいましょう。


2019年2月17日(日) twitterで知り合った 華 hanaさんが詠んでくださった句。

お照ちゃんの墓参りを、地元かつらぎ町や橋本市のキャスト・スタッフの方々とさせていただくににあたり、私はその前日に墓掃除に出かけた、との記事(2019年2月15日 お照ちゃんの石刻)を書きましが、その中で墓地清掃のほんの少しの間 雪が舞う曇天だったのに、神々しい景色の中…」とあるのですが その日、華さんはこんな一句を詠まれていました。香花を一枝墓前春の雪」。墓掃除に行ったその光景がよみがえりました。この句が目に飛び込んで「いいね」を。で、その夜に華さんからDMが届き、この句は大切にしたい一句の一つですと。そして先日こんな句が出来ましたと私の様な者に一句詠んで下さいました……。「余寒見舞絵添え文の美しさ」。何とも有り難き幸せ。お礼の言葉と共に、お照ちゃんの墓参りの事をお伝えすると「春の陽に照の真心きらきらと」 と更に詠んで下さいました。いつまでもお元気で夢を追いかけて下さいね と結んで下さり、お照ちゃんの墓参り後に優しい気持ちをいただいたひとときでした。

華さんは俳句以外ににも人形作家としての顔を持たれている。その人形から醸し出される気は凛としていて そして不思議な優しさが伝わってきます。きっと華さんのお人柄なんでしょう。どこにお住まいかも存じ上げないが、良き方と繋がりあえてsnsも捨てたもんじゃない。(^-^)

華さんも大きな夢をお持ちだとか。まだナイショらしいですが、その夢が実現することを祈っています。私もこのopera「お照の一灯」の公演が実現するように頑張っていこう。お互いにね。(∩.∩)

※画像は華さん(@1368Hs)の作品です。


2019年2月16日(土) キャスト・スタッフで お照ちゃんの墓参り

午前11時に丹生都比売神社に集合して、まず神社でopera「お照の一灯」の成功祈願をさせていただきました。そしてお照ちゃんのお墓参りに。前日の雨で山辺の道は少しぬかるんでいましたが、女性の皆さんは運動靴やレインシューズに履き替えて墓前に到着。大日寺の金森良祐師の読経でお照ちゃんにopera制作の報告を改めてさせていただきました。写真は、右から金森師(高野山の僧侶役)、作曲家の車川知寿子さん(エレクトーン)、山本弥生さん(仏の使い・精霊役)、中西善子さん(お照の生みの親・お千役)、福本陽子さん(和泉の国の お福役)の皆さんとワタクシsowwa。劇中の万灯法会での祈願文をお願いした現福寺の宮崎諦寛師は午前中に法事があり、この後のミーティングという名の食事会(山荘 天の里)より参加いただきました。それぞれ皆さんの思い等をお話しいただき、有意義な一日を過ごせた。そうそう、天野の里からの帰り道も途中 喫茶店に寄り話に花が咲き、長時間のお付き合いをいただきました。皆さまお疲れ様でした。

 

お照ちゃんの生みの親 安東四郎右衛門・お幸(こう)の墓。

お照ちゃんの生みの両親のお墓の前での読経中、金森良祐師曰く 回りの空気感が変わるのを感じたと。私sowwaもこみ上げるものがあり、それを堪えながら読経の中にいました。参拝いただいた方々も同じような思いを持たれたとか。お照ちゃんのご両親も喜んでくださってると実感。

 

※左の石碑には妙春尼の名前が記されている。これは1682年に妙春尼により供養塔が建てられ、1688年 天野の郷供僧・浄意が女人の苦しみを救うために、代受苦の行を十年間勤め ここに碑が建てられた。

この写真の右の碑が実父母の墓標と思われる。またお照はこの辺りに庵を結び養父母の菩提を弔いつつ生涯を終えたと伝えられている。


2019年2月15日(金) お照ちゃんの石刻

お照さんにみたてた「のほとけ」を彫り、今日お奉りさせていただいた。
お照さんにみたてた「のほとけ」を彫り、今日お奉りさせていただいた。

opera「お照の一灯」の作曲を依頼している車川知寿子さんが お照さんの墓参りをしたいと仰っていたので、地元かつらぎ、橋本市の出演者6名とsowwaで明日16日に訪れることに。そこで今日、墓地と周辺を二時間ほどかけて清掃しました。お照さんの墓や実の父母の墓に花・線香を供え、折角なので 昨年上演したopera「横笛の詩」のヒロイン 横笛の恋塚にも花を供えお参りをさせていただいた。が、どうも気分がスッキリしない…。実は昨日から心が晴れないでいる。2・3日前から肩や首、腰の痛みに加え頭痛があり そのせいか。

それでも明日のみなさんとの墓参りの様子を思い描きながら帰宅しようとしたとき、墓地周辺の 杉木立の間から陽の差し込むのを感じた。墓地清掃のほんの少しの間 雪が舞う曇天だったのに、神々しい景色の中ふと「天野の里づくりの会」会長・谷口千明氏の事が頭をよぎった。

何のコンタクトも無しにお伺いするのも失礼かと承知の上でご自宅へ。で、車を止めたその先にご本人がいらっしゃった。昨年の5月に お照さんの墓参りをさせてもらってから、かつらぎ町やゆかりの方々に 墓の管理者やこの地(墓がある山)の所有者を調べていたが誰も分からないとの事でした。今日 谷口氏にお話をお聞きして分かった事が一つ。管理者は居ないとのことで、時々 誰ともなくお世話をして下さってるとの事。

そうして衝撃的な言葉、、、、、これは墓ではなく単なるローソクを立てる風よけとか。sowwaはすっかりお墓だと思い込んでおりライフワークにしているのほとけの石刻(写真上)を お照さんにみたてて彫り、今日お奉りさせていただいたばかり。

お照さんのお墓はこの上のお地蔵様が祀られている場所だとか。あぁ〜なんとした失態。sowwaはそこを実の父母の墓だと思い込んでおりました(実際は更に上の場所)。いやぁ 近くの掲示板を見ればそう勘違いするでしょう。谷口氏いわく、殆どの参拝者が間違えてお参りされているとか。これを何とかしましょうという話から、写真下のロウソクの為の錆びた鉄製の風よけを取り除こうかと考えているとのお話し。そこで sowwaは、お照さんの為に祠を寄進したいと申し出ましたら、谷口氏 この4月の「天野の里づくりの会」での総会に、申し出をお話ししておきますと。そして、お照さんの石刻はその祠に納めていただくことができるとの事。お地蔵様と お照さんの石刻をお祀りさせていただければ こんな嬉しい事はない。sowwaの晴れぬ気分は お照さんのお告げだった ? いずれにせよ、皆さんとの墓参り前に分かって良かった。

それにしても、本来のお墓であるお地蔵様の周辺よりも ロウソクの風よけ周辺の清掃に時間を費やしたワタクシ。明日は改めてお地蔵様辺りをしっかり清掃いたしましょう。


オペラ「お照の一灯」 防野宗和 のほとけの散歩道 天野の里 お照 貧女の一灯

2018年11月10日 毎月10日の墓参り

天野の里に眠る お照の墓へ(下に関連記事)。今年の5月から毎月10日前後には、お照さんの墓参りと決めている。2021年の初演が実現するまでは続けようと。何故10日かというと「お照の一灯」になぞらえて、命日を勝手に1月10日(いっとう)と決めた。で、毎月10日前後にお参りをしている。

掲載の画像の様な場所にお照さんの墓があり、丹生都比売神社神社に近く、その駐車場から歩いて10分少々か。先月訪れた時は、台風の影響で小高い山辺の道は倒木で狭い道がふさがれていたり、墓周辺は折れた杉の枝が散乱しており片付けに手間取った。その後、天野の里のどなたかが一人ではどうにもならない倒木を片付けてくれていました。(^◇^)

画像に記載の登場人物ですが、和泉の国 奥山村の女性「お鈴、お照の実母お千」 以外はほぼ決まりました。曲の方も、11月25日(日)の声明コンサートが終われば、車川知寿子さんが作曲に取りかかって下さる。待ち遠しくて仕方がない。

 2018年最後のお墓参りの様子はこちら。

※画像は、とりあえず台本用表紙に制作したものでフライヤーやポスター用ではありません。


2018年8月13日(月) 高野山万燈供養会/ろうそく祭り

今年で45回目だという「ろうそく祭りに初めて行ってみた。これも「お照の一灯」をオペラにしようと思い立ったからこそで、雑踏の中に身を置く事の嫌いな私にしてみれば快挙?である。(>_<)

午後7時からの ろうそく祭りに、高野山に着いたのが4時30分頃。一の橋から御廟までの2Kmの参道にはろうそくを立てる為の準備がなされており時間までゆっくり散策も、少々持て余し気味だったので おでんを食べ、お好み焼きを食べ、かき氷を食べ…(^○^) 

昼間に降ったという雨のせいか散策中も汗はかかない。午後7時になると参詣者に10万本のろうそくが配られ、貧女の一燈(お照の一灯)から分火された灯りを個々のろうそくに火を点け 参道は幽玄な風景に変わった。1000年もの間 燃え続けるお照の祈りが優しい輝きを発している。

今日の目的は奥の院での万燈供養会。午後8時前には御堂に入り 貧しいお照が大切な黒髪を切って献じた貧女の一燈(お照の一灯)を目の前に陣取り、祈親(きしん)上人が献じた祈親燈(きしんとう)、白河上皇が献じた白河燈、昭和の時代にある宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が燃え続ける中、読経がはじまった。おごそかな万燈供養会に身を置き、operaお照の一灯(2021年3月公演予定)の成功を祈る。

お照が捨て置かれた場所や育った屋敷跡それに天野の里のお墓を巡り、今日はお照の祈りの一灯と共に万燈供養会に参列できてopera制作への内面の準備が整いました。\(^O^)/


お照の墓/和歌山県伊都郡かつらぎ町天野

かつらぎ町のホームページにお照の物語が掲載されている。貧女の一灯 防野宗和 お照の一灯

お照の墓は下の写真の場所だと殆どの参拝者が勘違いされている。かく言うsowwaも今日まで(2019.2.15)そう思っていた。明日(2019.2.16)、大阪の4名のソリスト以外の7名で ここに墓参りを計画しており、朝から掃除をと思い訪れたがいつになく気分がすぐれなかった。その理由は上段の2019年2月15日の項に記載。

お照さんは和泉の国は横山村坪井の里に捨てられるが奥山源左衛門・お幸の夫婦に拾われ大切に育てられる(下記参照)。お照16才の頃、その育ての親も亡くなり 高野山の麓 この天野の里に移り住む。今は お照の墓として知られているが、この辺りには出家した お照の庵もあったと伝えられている。


2018年6月25日 オペラの幕開きに登場する和泉市坪井町と槙尾町を訪ねた。


槙尾山 施福寺/和泉市槙尾山町136

ご本尊「十一面千手千眼観世音菩薩

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槙尾山 施服地

標高600mの。標高500mくらいのところに行基空海ゆかりの古刹施福寺」あり、参拝登山者の多い霊峰。

 

……「お照ちゃんは今日も源左衛門さんとお幸(こう)さんのお墓参りかねぇ。

毎日毎日本当に感心だよ

亡くなった お照ちゃんのお父つぁん、横山村坪井の 奥山源左衛門といえば 豪農で知られた上に、それはそれは人情味深い 立派なお方と評判で…」でも 子宝に恵まれず…」源左衛門さんはお幸さんと二人して槙尾山の観音様に願かけ参りの日々」その観音様の ある日の帰り道…」と続くオペラでの台詞に登場するこの寺は、駐車場から大変な坂の山道を歩くこと約40分。足が……。

境内には観世音菩薩像や、施福寺までの途中には弘法大師 空海が剃髪したお堂や御髪堂がある。(写真下)


お照置き去りの地/和泉市坪井町

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槙尾山の麓、小さな貧女橋を渡ると お照が捨て置かれた場所がある。仏並への分かれ道 辻堂辺り。生みの親が身を潜めるその先で、この地に住む 奥山源左衛門・お幸が、捨てられたお照を拾い上げる。

 

……「この先の霧深い辻堂の脇で泣くあんたを見つけて、どうやら捨て子らしいと… それでね お照ちゃん、不憫に思った お幸さんが あんたを抱き上げると すぐに泣き止んで、はち切れんばかりの 笑顔にかわったって」

「あんたの お母(っか)さん お幸さんはね その笑顔を見て子の無い私たちの願いを 観音様が叶えて下さったと大喜びしたそうだよ。子を授かりたい一心で槙尾山には 願掛け参りの日々だったからねぇ」……

この場所には『此の付近 孝女 照 置き去りの地 千代までも 行く末をもつ みどり子を 今日しき捨てる 袖ぞ悲しき』と記された石碑と地蔵像がある。そのお地蔵様を見つめる様に、土塀の中から清らかなアジサイの花


お照の像/鳳林寺 和泉市坪井町209

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この鳳林寺は、元は 養父母 奥山源左衛門・お幸の屋敷があり お照が一緒に過ごした場所とされる。